大切にできない自由は、もう選ばない
愛するあなたさま、こんにちは〜
ゆるんだ女は、あたりまえに愛される:黒江香です。

自由って、なんでしょう。
自由でいられてる状態って、どういう状態でしょう。
カウンセリングでも「もっと自由にいきたい」そうおっしゃる方は多いのです。
私はずっと、自由には責任が伴うものだと思って生きてきました。
自分で選ぶこと。そして、そこには必ず責任が伴う。
そして、
選んだものを大切に扱うこと。
選んだ人を大切にすること。
選んだあり方を大切にすること。
それが、私にとっての自由に生きるための本質です。
そして、この本質を生きれてないと、自信は得られないと思っています。
自信って、自分に信頼があるかどうだから。
でもある時、
同じ「自由」という言葉でも、こんなにも感覚が違うことがあるんだと思うといきがありました。
縛られないこと。
制限されないこと。
その時の気分を優先できること。
もちろん、私もこの要素は大事だと思っています。
…だけど、なのです。
自分の自由を得ると同時に、相手のガマンや犠牲、不自由がある。
”自由でありたい”を正当化するような言動。
これは、違うんじゃない?と思うタイプです。
私は、その自由の中で、少しずつ心が乾いていくのを感じていきました。
約束を大切にしてもらえない
私の尊厳を軽く扱われてるような感覚
どんどん心が抉られていく。
大きな出来事じゃなくても、小さな違和感は、確かに積み重なっていくのです。
とはいえ、私も過去を振り返れば、私も自分の苦しさから逃げるように、“自由”という言葉を使って、誰かや何かを大切にできなかった時期がありました。
自由ではなく、好き勝手なことをしてたときがあったの。
そうとは気づかずに。
だから、改めて思ったのです。
自由と、好き勝手は違う。
自分の好きにすることと、相手を犠牲にしてまで好き勝手にすることは、全く別のものです。
もしその“自由”の中で、誰かが我慢したり、傷ついたりしているなら、それはもう自由じゃなくて、ただの身勝手だと思います。
自由であることと、誰かを大切にしないことは、同じじゃない。
自由であることと、信頼を削ることも、同じじゃない。
私が求めているのは、
ただ好きに振る舞えることじゃなくて、大切な人と、大切にし合える関係の中で、安心してひらいていられること。
ちゃんと想われていると感じられて、ちゃんと選ばれていると感じられて、その上で、自然体でいられること。
それが、私にとっての“自由”。
だから、これは、誰かを責めたい記事ではありません。
自由のかたちは、人それぞれ違うから。
ただ私は、
信頼やぬくもりがある関係の中でこそ、
女性として、やわらかく、しなやかに在りたいと思っている。
どんな自由を選ぶのか。
それはきっと、どんな愛を生きたいのか、ということ。なのかもしれないですね。
あなたにとっての自由は、どんなカタチをしていますか?



